障害の息子を持つ父親が、相模原市の大量殺人事件を受け、ネット上に投稿した文章が日本のみならず、それを英訳したものが海外でも話題になっています。今回はそれをご紹介します。
『私は、思うのです。長男が、もし障害をもっていなければ。あなたはもっと、普通の生活を送れていたかもしれないと。私は、考えてしまうのです。長男が、もし障害をもっていなければ。私たちはもっと楽に暮らしていけたかもしれないと。
(中略)
弟よ、お前は人にいじめられるかもしれないが、人をいじめる人にはならないだろう。生まれた時から、障害のある兄ちゃんがいた。お前の人格は、この兄ちゃんがいた環境で形作られたのだ。お前は優しい、いい男に育つだろう。
それから、私ははたと気付いたのです。あなたが生まれたことで、私たち夫婦は悩み考え、それまでとは違う人生を生きてきた。親である私たちでさえ、あなたが生まれなかったら、今の私たちではないのだね。
ああ、息子よ。誰もが、健常で生きることはできない。誰かが、障害を持って生きていかなければならない。なぜ、今まで気づかなかったのだろう。
私の周りにだって、生まれる前に息絶えた子が、いたはずだ。生まれた時から重い障害のある子が、いたはずだ。交通事故に遭って、車いすで暮らす小学生が、雷に遭って、寝たきりになった中学生が、おかしなワクチン注射を受け、普通に暮らせなくなった高校生が、嘱望されていたのに突然の病に倒れた大人が、実は私の周りには、いたはずだ。
私は、運よく生きてきただけだった。それは、誰かが背負ってくれたからだったのだ。息子よ。君は、弟の代わりに、同級生の代わりに、私の代わりに、障害を持って生まれてきた。
老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。事故で、唐突に人生を終わる人もいる。人生の最後は誰も動けなくなる。誰もが、次第に障害を負いながら生きていくのだね。
息子よ。あなたが指し示していたのは、私自身のことだった。
息子よ。そのままで、いい。それで、うちの子。それが、うちの子。あなたが生まれてきてくれてよかった。私はそう思っている。 父より』
この父親は、「多くの人にとって、障害は他人事なんです。私もそうでした。」「でも、息子と暮らすことによって、私は多くのことを学ぶことができた。想像力が欠けていた私を変えてくれたのは、障害のある息子です。」とコメントをしています。この投稿文章を重く受け止め、障害者への差別がなくなるよう「共生社会」の実現に向け、「県政改革」を進めます。
リオではパラリンピックが始まりました。すべての選手にエールを送りましょう。
平成28年9月11日 野田たけひこ