子どもたちは夏休みを迎えました。夏休み中のお盆に、ご先祖様のお墓参りをしますが、私が生まれ育った地域(船橋市七林町)では朝、日が昇る前にお墓参りをするのがよいとされ、自分のご先祖様のお墓だけではなく、ご近所にあるお墓はもちろんのこと馬頭観音も含む、墓地全体のお墓にお線香をあげるというのが、古くからの習わしです。小さな村(今は町ですが)の小さな共同墓地だからできるのでしょうが、これはとてもよい風習だと思います。
この小さな共同墓地にも多くの戦没者が眠っています。墓石に刻まれているのは戦没者の名前と階級、戦没地などですが、その多くは上等兵でレイテ島にて戦死となっています(この地域の若者の多くは佐倉57連隊に配属され、戦争末期にグアム島、フィリピン・ルソン島等の激戦地で戦った)軍隊では戦死すると一階級や二階級の特進がありますので、おそらく一番下の階級の二等兵や、あるいは一等兵で二十歳になったばかりの若者が戦死なされたのでしょう。とても痛ましいことです。
小さな共同墓地の戦没者に私の縁戚もいますが、父の長兄は中国戦線に出征し、次兄は結婚してさほど日数がたっていない頃に召集され、本土防衛のため毎日、塹壕を掘っていたそうです。母の兄もやはり中国戦線に出征したそうです。幸いなことに叔父たちは生きて故郷に帰ることができましたが、どれだけ多くの人たちが亡くなったことでしょう。先の大戦での日本人の戦没者数は約310万人、そのうち軍人・軍属の戦没者数は約230万人、軍人・軍属の戦没の、その多くは戦闘によるものではなく、餓死、病死です。つまり徴兵検査を合格した頑健な若者が、食糧や医薬品の補給を受けることなく戦地で倒れていったということです。
国を防衛しなければならないことには異存ありません。しかし安全保障法制は、「後方支援」活動をしていた自衛官が身柄を拘束された時、戦闘員ではないから捕虜ではなく、捕虜の待遇に関する国際条約の適用外となるなど、理解できないことが多過ぎます。もっと時間をかけて国際貢献のあり方、防衛政策などの議論を深めるべきですし、命をかける若者の立場に立った議論も必要だと私は思います。