ポピュリズムとは、一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを煽(あお)り、あるいは利用し、一般大衆や世論に迎合することにより、支持を得ようとする政治思想、または政治姿勢のことですが、私は六月十二日今回の米朝首脳会談は別として、ポピュリズムが大きな力を持つ米国の政治やドナルド・トランプという政治家に少なからぬ危惧を持っています。
二〇〇九年、アメリカで始まったオバマ政権の医療保険制度改革(オバマケア)等に反対する「ティーパーティー運動」も一般的にポピュリズムのひとつであると言われています。このティーパーティー運動に参加した人たちの発言は、「政府は行いの良い市民から金を奪い、行いの悪い市民に提供している。」「行列に並ぶ自分の目の前に見知らぬ人が割り込んでくる。自分たちはルールを守っている。だがその人たちはルールを守らない。」「彼らはマイノリティ(少数者)優遇措置や就職支援、生活保護、無料の食事等を通じて、人々の心の中にひそやかな怒りの感情を作り出す。」「女性、移民、難民、公務員、いったいこうした優遇はどこまで続くのか。」
これらの発言をした人たちの心情はとても理解できます。なぜならば彼らは、まじめに働き税金を納める「良い市民」、「ルールを守り行列に並ぶ人」なのですから。しかしながら、この人たちの不満を他者への敵愾心にすり替えるポピュリズムは果たして正しい政治の姿といえるでしょうか。
そして、このティーパーティー運動に参加した人たちや、白人の低所得者層の支持を得て第四十五代アメリカ合衆国大統領に就任したのが、ドナルド・トランプです。トランプは大統領就任演説で「今、この瞬間からAmerica First(米国第一)でいく」と宣言しましたが、彼が考えるアメリカにメキシコ系やアラブ系移民、あるいはキリスト教徒以外の人たち等は含まれているのでしょうか。
日本においても特定の民族、国への差別や不必要なまでの敵愾心、妬みや嫉みに基づく公務員への攻撃、生活保護受給者への偏見等々、ポピュリズムが浸透する土壌がたくさんあります。
常に政治から取り残されている「中流」の人たちが政治から恩恵を受け、そして、その人たちが余裕を持たない限り他者へのいたわりは生まれない。私はポピュリズムを排し、まじめに働き税金を納める人たちが他者へのいたわりを持てる政治を目指します。
平成30年7月1日 野田たけひこ