前回お配りした「在宅医療の充実」は、『高齢社会を迎えるにあたり、医療従事者や医療施設の数を増やすと同時に、医療の質や内容も充実させる。国民の約60%以上が、住み慣れた自宅で最期を迎えたいと願っているが、自身の意に反してほとんどの人が病院で亡くなっている。自宅で最期を迎えたいという、ささやかだが切実な願いをかなえるためには自宅で医療を受けて療養できる在宅医療を充実したい。そのためには今、地域で進められている住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される「地域包括ケアシステム」の中で、この在宅医療を充実させて住み慣れた自宅で最期を迎えるという願いをかなえる。』というものでした。今回も前回に引き続き、医療の質や内容の充実について、私の考えを述べさせて頂きます。
さて、私もそれ相応の年齢ですから、身内の介護、そして看取りを経験しています。人が亡くなる終末期に、人工呼吸器・人工心肺・高カロリー液の点滴等の命をながらえる延命治療を施すかどうかを身内が判断しなければならないという状況に至った時に、「本人の意思はどうだったのだろうか。延命治療を望んでいないのではないか。また、たとえ延命治療が本人の意思に反しているとしても、延命治療の拒否は人の道に反するのではないか。1秒でも長く生きていてほしい。」と悩み惑います。このような重たい、いわば「命の選択」を、遺される身内が判断しなければならないのは酷な話です。
終末期において、延命治療を望むか望まないか、どちらが正しいのか誰もわからないでしょうが、「終末期医療に関する県民意識調査」によれば、「自分に死期が迫っている場合、延命治療を受けたいか」との問いに対し、「延命治療を望まない」56.8%、「どちらかというと延命治療を望まない」29.3%、「わからない」10.7%、「延命治療を望む」3.3%でした。そうであるならば、私は命の選択を遺される身内に判断させるのではなく、生前に、どのような場合にはどのような医療を受けたい。どのような医療は受けたくない。という本人の意思を身内や医師に示し、それが尊重される医療も「地域包括ケアシステム」の中で実現したいと考えています。
「エンディング・ノート」というものがあります。これは突然の事故や病気だけでなく、認知症などで判断力を失った時に身内が悩み惑うことなく自分の希望する医療は何かをあらかじめ書き記しておくノートです。私はエンディング・ノートを「地域包括ケアシステム」で取り入れるかどうかについても提起し、さらに人が死に臨み、自らの意思が尊重されることにこだわりたいと考えています