子どもたちの健やかな成長を願う

 まもなく新学期です。桜は今がちょうど見頃ですが、新学期の頃には、おそらく薄緑色の若葉をつけていることでしょう。

 子どもたちは、春風に舞う桜の花びらの下、希望と、また一抹の不安を抱きながら学校に通っていることでしょう。

 さて、桜は花が散った後、夏にかけて翌年に咲く新芽をつけます。その新芽は晩秋から初冬の頃に成長を止め、「休眠」という状態となり、寒い冬を耐えしのごうとします。

 しかしながら桜は、さらに厳しい寒さを幾度か経験しないと、休眠から目覚め、春に向けた活動を再開しません。これを桜の「休眠打破」といいますが、桜が花を咲かせるには、暖かい春の日差しよりも、むしろ寒い冬の闇が必要なのだそうです。

 もし子どもたちが、いじめや不登校という闇の中で苦しむようなことがあれば、私たち大人は、春の日差しを届けなければなりません。

 そして、桜のように風雪の厳しさをも糧にし、いずれ若葉を茂らせ、新芽を育み、年ごとにひと回り大きく逞しくなる、子どもたちの健やかな成長に、私たちは手を差し伸べねばなりません。

 大人は、人生の様々な経験や、知識によって「学校が子どもの居場所のすべてではない。様々な世界がある」ことを知っています。しかしながら、子どもの「世界」というものは、大人が思っている以上に狭く、「学校」と「家庭」、「地域社会」の3つが、実感できる世界のすべてです。

 闇の中にいても、子どもは大人が思っている以上に、親を悲しませたくないと、健気に振る舞っています。その子どもが突然、「学校」という世界に通えなくなるということは、子どもが、これ以上は耐えられないという深刻な状況にあるということです。

 「学校にはどれだけ苦しくても通うべきだ」という考えがあります。確かに、人は人生の中で、様々な苦境に陥り、辛い経験を積み重ねることになります。そして、それらを克服していくには、精神的な強さも必要でしょう。しかしながら、精神的な強さは、成長とともに徐々に身につけるべきものではないでしょうか。

 また「不登校はよくないことだ」「保健室でもいいから学校に来なさい」という考えもあります。しかしながら、大切なことは「学校に行くこと」ではなく「学びを止めないこと」であり、子どもが闇の中から抜け出すための様々な「道」を提示するのが、大人の役目ではないでしょうか。

 そのようなことから、私は県議会で、人の悲しみや痛みを理解する子どもを育てるために「いじめ加害者へのカウンセリング・プログラム」の導入や、子どもの学びを止めないために「不登校特例校の設置」等を提言しています。