人は、どのような時に自らを「幸福」だと感じるのでしょうか。多種多様な人がいて、それぞれが多種多様な価値観を持っていますから、幸福というのも多種多様なものなのでしょう。
さて、数年前に生活保護の「不正受給」をめぐって、「働けるのにずるい」「怠けているだけだ」と話題になりました。さらに、生活保護者を蔑称する俗語を使ったり、「生活保護は働けるのに働かない人々を生み出す」などと、生活保護を利用する人々を差別と偏見にさらすような言動の国会議員も現れました。
私たちは、病気になったり、事故で大怪我をしたり、心の病気により家から出られなくなったりと、さまざまな事情で働けなくなり、生活保護を受給する立場になる可能性は常にあります。
生活保護を利用する権利がある人のうち、実際に利用している人の割合である「捕捉率」は20%(千葉県・約15%)です。生活が苦しくても生活保護を利用しない人の理由として、「家族で助け合わねば」という良心的な気持ちや、「生活保護は恥ずかしい」「肩身が狭い」「今の姿を息子や娘に知られたくない」「家族や親族に知られるのが嫌だから」などがあげられます。
東京都の調査では、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で仕事を失って、いわゆる「ネットカフェ難民」が約4000人に上り、そのうち75%が派遣やパートなどの不安定な働き方をしていることや、ネットカフェ以外の路上やファストフード店などでも寝泊まりしていることも報告されたそうです。
そして、新型コロナウイルス禍の長期化で困窮者が急増しているのに、申請をためらう人が多かったことから、一昨年、厚労省は必要な人は生活保護の利用・相談を促す、異例の呼びかけをしています。
もちろん生活保護の不正受給は許されません。しかしながら、今は、自らを恥じ、差別や偏見を恐れる、申請しない、申請できないでいる残りの80%の人たちの「幸福」を考えるべき時なのではないでしょうか。「自分の想像が及ばない背景を抱えた人がいる」というのは事実ですし、さまざまな事情で働けなくなる可能性は常にあるという意識を社会全体が持つことと、生活保護に対する歪んだ価値観を払拭することが重要だと思います。
健康寿命世界第1位を誇る日本です。誰もが「幸福」を実感できる社会にするためには、人種、国籍、宗教、年齢、性格、障がい、性的嗜好、学歴、価値観等の一人一人が持つ様々な違い、すなわち多様性を受け入れ、その人たちに対して寛容になれるように、様々な心の壁を壊すべきなのではないでしょうか。