「敬老の日」は、兵庫県多可郡野間谷村の村長と助役が、1947年(昭和22年)に提唱した「としよりの日」が始まりであるとされています。野間谷村では、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、9月15日を「としよりの日」と定め、従来から敬老会を開いていました。また、593年の9月15日に聖徳太子が大阪の四天王寺に「非田院(ひでんいん)」を設立したと言われています。「非田」とは「慈悲の心をもって貧苦病苦の人を救えば、福を生み田となる」という意味があります。非田院は、身寄りのない老人を収容する、今でいう老人ホームのような施設でした。敬老の日はこの「非田院」の設立にちなむとも考えられています。
織田信長は「敦盛」の中の『人間五十年。下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか』(人の世の五十年という歳月は、天上界の一日にしか当たらない。この世に生まれて、亡くならない者などいない)という一節を好んで謡(うた)い舞ったそうです。この一節は人の世の儚(はかな)さをうたったものですが、よく誤解されるのは、当時の日本人の平均寿命と関連して語られることです。日本人の平均寿命が50歳を超えるのは1947年になってからのことです。「還暦」(60歳)を迎えるということは、昔はかなりの長寿だといえたのでしょう。還暦とは、十干(じゅっかん)「甲・乙・丙・丁…」と十二支「子・丑・寅…」を組み合わせ、たとえば甲子(きのえね)で始まる暦が60年経つと、また甲子で始まり、「暦(こよみ)に還(かえ)る」という意味です。ちなみに戊辰戦争は1868年の戊辰(ぼしん)の年に始まったから、甲子園球場は1924年の甲子(きのえね)に起工式があったから、そのように名づけられています。
さて日本人の平均寿命は最新の資料によれば83.7歳ですから、大方の人にとって還暦は一つの通過点にしか過ぎません。もはや還暦は「第二の成人式」と言ってもいいでしょう。また世界の先進国でも同様に平均寿命が伸び、フランスでは今、「Quincados(カンカド)」(造語)というライフスタイルが流行っているそうです。「50代思春期」というような意味です。カンカドの男女は、まるで10代のようなファッションに身を包み、行動も若々しく、恋愛大国のことですから、思春期のように、恋愛も大いに謳歌しているとのことです。歳を重ねても人生を謳歌しようというのはいいことですね。
今、日本は史上例を見ない超高齢社会に突入しようとしています。特に千葉県の高齢化のペースは日本で一、二を争う速度です。しかし残念なことに、高齢者福祉を取り巻く環境整備は満足できるレベルには達していません。福祉先進国並みにすると同時に、生活の質の向上も図っていかなければなりません。
誰しもが充実した人生を送れる仕組みをつくる。それは政治が常に追い求めるテーマです。
平成28年9月19日 野田たけひこ