樋口季一郎中将

 我が国は、1919年の第一次大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、国際連盟の規約に「人種差別撤廃」を明記すべきだと、世界で初めて主張した国です。

 さて、エルサレムの丘には、ユダヤ人出身で世界的に傑出した人物の功績を永遠に顕彰するため「ゴールデンブック」という碑が建てられています。この碑には、モーゼ、メンデルスゾーン、アインシュタインなどの傑出したユダヤの偉人達にまじって、上から4番目に「偉大なる人道主義者、ゼネラル・樋口」と樋口季一郎の名が刻まれています。

 第二次世界大戦中にナチス・ドイツの虐殺からユダヤ人を救ったドイツ人実業家オスカー・シンドラーと、日本人の外交官であった杉原千畝はあまりにも有名で、多くの方の知るところとなっていますが、樋口季一郎という軍人については、知らない方もいらっしゃるので、ここであらためて、樋口季一郎の偉大な業績を紹介します。

 1938年、ナチス・ドイツは国策としてユダヤ人を迫害していましたが、残念ながら、他のヨーロッパ諸国もユダヤ人に対して積極的に手を差し伸べる国はありませんでした。

 そして、その年の3月、迫害を逃れ、ソ連を通過してソ連・満州国境オトポールで、飢えと寒さに立ち往生していたユダヤ人難民を、当時、満州国ハルビン特務機関長だった樋口季一郎は、緊急の人道問題だと判断し、馘(くび)を覚悟で松岡洋右満鉄総裁に直談判し、ユダヤ人難民のための食料や燃料を満載し、医療班を伴った特別列車を現地に派遣します。その後、この特別列車は13本も派遣され、ユダヤ人難民の海外脱出を手助けしました。

 私は県議会で、ことあるごとに人種、国籍、宗教、年齢、性別、障がい、性的指向、学歴、価値観等、人がそれぞれに持っている、多様性を尊重すること、すなわちダイバーシティの推進を訴えてきました。

 現在、千葉県内では約7千人の介護職員が不足しており、このペースで進むと、高齢者人口がピークを迎える17年後の令和22年には、約3万1千人の介護職員が不足する見込みです。この介護職員不足に危機感を持った県は、令和元年度に外国人介護人材の就業促進等に総合的に取り組むため、「外国人介護職就業促進事業」を始めました。

 しかし、少子化で生産年齢人口が減少しているため、今後は介護のみならず、様々な分野で外国人に参入してもらわなければならなくなるでしょう。そのためには、外国人を受け入れる体制づくりが必要となります。

 外国人労働者の雇用条件や権利を保護する制度の整備、日本語を学ぶための支援、地域社会への参加の促進、異なる文化や価値観を理解し合うための取り組みなど、これらの政策が組み合わさることで、外国人労働者と日本社会との円滑な共生が促進され、多様性を尊重した社会が形成されるのではないでしょうか。

 樋口季一郎中将が行った人道支援の基本原則は、すべての人間が尊厳を持ち、平等であるという信念です。中立であり、特定の政治的、宗教的、民族的な立場に偏らず、全ての人々に平等でなければなりません。そしてダイバーシティは、差別や偏見を排除し、すべての人が公平な処遇を受ける環境を築くことです。

 私は、平等かつ包括的な社会を実現する一歩となるよう、これからもダイバーシティの推進を提言してまいります。