今、日米安保の適用範囲や改憲議論がなされていますが、自衛官の息子として生まれ育ちました私としては、大変気になるところでもあります。
日本国憲法9条1項に「国際紛争解決のための武力の不行使・戦争の放棄」2項に「軍編成権の否定、戦力不保持、交戦権の否定」とあり、この「武力不行使原則」は、国連憲章2条3項の「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」、4項の「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と共通するものであり、「武力不行使原則」は国連加盟国、国際法の共通原則でもあります。
ならば国連加盟国は軍隊を持たないかというと、現実には、そんなことはありません。国連憲章の42条、51条では、集団安全保障、個別的自衛権、集団的自衛権が認められており、それがそれぞれの国家が軍隊を持つ根拠となっています。
また日本国憲法前文の「国民の平和的生存権」、13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は最大限尊重されなければならないとされており、これを守ることは国家の責務でもあります。つまり外国の武力攻撃などにより、国民の平和的生存権、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利がおびやかされた場合、これに対応する手段を持たなければならない。そして、それが自衛隊です。
私が子どもの頃と今とでは自衛隊に対する認識に隔世の感がありますが、いまだ自衛隊違憲論があるのは残念です。外交や防衛、自衛隊に係る議論は勇ましい方がもてはやされがちですが、それらの議論に加わる際に、私は自衛官やその家族の立場に立ってものを考えることを基本にしています。
世の中には、まさに命がけの仕事があり、そして、それらの多くは自分の命に危険がある場合、上司の命令に従わなくてもよいという規定があります。しかし自衛官には、そのような規定はありません。また自衛官は政治活動ができませんので、自衛隊に係る議論に参加できず、決定されたことに黙々と従うしかありません。
台風など災害が近づいた際、世の多くの父親は家に早く帰ってきますが、私の父は災害派遣に備え、所属部隊からの待機命令のため家に帰ってきませんでした。自らの生い立ちを考えると、外交、防衛論議の際に自衛官の身の安全や、家族の口に出せぬ思いに重きを置くのが自分の役割だと考えています。
平成29年8月6日 野田たけひこ