誤った歴史を繰り返してはならない!

 1974年に公開された日本映画の名作「砂の器」には、父がハンセン病に罹ったがために、母は少年と夫を残して家を去り、やがて少年と父は迫害によって村も追われ、やむなく巡礼(お遍路)の苦しい放浪の旅を続けざるを得なくなるというシーンが出てきます。そして少年と父が旅の先々でも迫害を受ける姿が、芥川也寸志さんの感動的な音楽「宿命」が流れる中、映し出されます。ちなみに若き日の森田健作、現千葉県知事が「吉村 弘」という若手刑事役を、この映画で熱演しています。
 さて、この映画に出てくるハンセン病ですが、かつては「不治の病」「業病」(前世の悪業の報いによって罹る病)などと恐れられてきました。本来、ハンセン病の感染力は弱く、現在の日本において人から人への感染はほぼゼロに近いと言われています。また1943年に医療薬が開発され、治療法もその後確立しましたので、早期発見と早期治療により、障がいを残すことなく、比較的短期間の外来治療で治すことができます。
 しかしながら、かつて日本では1907年に、ハンセン病の患者を強制的に隔離する法律が成立し、患者から行動・居住の自由、職業選択・学問・結婚の自由などあらゆる社会参加の機会を奪い、家族や故郷から強制的に「療養所」に隔離し、その後も法改正を繰り返しながら、患者を家族や地域、職場等社会から強制的に引き離し、隔離し「療養所」に集め、療養所内で結婚する場合は、断種・堕胎が条件とされ(断種は1992年まで続いた)、もちろん外出も認められませんでした。そして、この終身強制隔離・患者絶滅政策を推進した「らい予防法」は平成8年、1996年にようやく廃止となりました。
 また終身強制隔離・患者絶滅政策が、患者の居住・移転の自由の侵害だけでなく、人として人生を発展させる可能性を大きく損なうものとして、憲法13条に根拠を有する人格権そのものへの侵害であるとした熊本地裁の判決が出たのは平成13年、2001年のことであり、ハンセン病患者を家族に持つことにより、地域の中であるいは進学、就職、結婚等の際に受けた深刻な差別や偏見により、人生そのものに重大な被害を受け、人格と尊厳が冒されてきたことに対する患者の家族への国の賠償判決が出たの令和元年、2019年、なんと昨年のことです。
 感染症差別には、差別する側に、加害者であるという意識が抜けてしまう怖さがあり、かつてハンセン病患者を役所に密告をした人は、ごくごく善良な市民意識から「自分は感染予防に貢献して、いいことをしている」と信じていた例が多いそうです。
 そして今、新型コロナウイルスが蔓延していますが、これに対しても「正しく知って正しく恐れる」ことが大事であり、誤った歴史を繰り返してはなりません。

令和2年10月4日         野田たけひこ
※ハンセン病・・・抗酸菌の一種である「らい菌」に感染する事で起こる病気で、感染すると手足などの抹消神経が麻痺したり、皮膚にさまざまな病的な変化が起こる。日本ではかつて「らい病」と呼ばれていたが、1873年に「らい菌」を発見したノルウェーの医師・ハンセン氏の名前をとって、現在は「ハンセン病」と呼ばれている。