年間1万人以上の方が「血液の癌」といわれている白血病にかかっています。そして白血病が完治する確率は約50%です。白血病にも種類があり、それによって治療法も異なりますが、骨髄移植は白血病などの血液の病気から命を救うのに、とても有効な治療法だといわれており、骨髄移植を希望して骨髄バンクに登録する人の数は年間2,000人以上です。しかし希望通りに骨髄移植を受けられる人は、そのうちの約6割です。骨髄バンクにドナー登録する人が、多ければ多いほど、骨髄を提供しようとする人が、多ければ多いほど、それだけ白血病などの血液の病気から救われる人の数は増えます。また、せっかく骨髄の型が適合する人がみつかっても、仕事をお休みする際の休業補償がないことなどから、骨髄提供に至らないことも多くあります。
今、全国で休業補償のための助成制度が制定されています。東京都、京都府、埼玉県、島根県、他市町村レベルでも122の市町村が制定しました。船橋市も我孫子市、習志野市に続き、千葉県で3番目となりますが、2月の市議会で可決されたならば、助成制度が制定されます。県議会も今月の17日から翌月の17日まで開かれますが、その中の民主党の代表質問で、私は「骨髄移植ドナー支援事業について」も取り上げて頂くことにしました。次は千葉県の番です。
骨髄バンク設立に際し多大な貢献をした方に、大谷貴子さんという方がいます。大谷さんが医師から白血病の宣告を受けたのは、千葉大の大学院に在学中の昭和61年のことでした。骨髄の型が適合し移植が可能になるのは兄弟で約25%、他人では数千分の1の確率ですが、大谷さんは幸いなことにお母様と骨髄の型が適合し、お母様の骨髄提供を受けて命を得ることができました。しかし病室で互いに励まし合い、慰め合い、姉妹のように過ごした1人の少女は骨髄の型が適合する人がみつからず、中学3年生、わずか15才で亡くなります。亡くなった少女、園上さおりさんは「普通の高校生になって、普通のお嫁さんになって、普通のお母さんになって、普通に死にたい」という言葉を遺しています。大谷さんは、この少女との出会いと別れを通して、誰もが骨髄移植を受けられる世の中をつくりたいと願い、骨髄バンク設立に尽力しました。
そして今、骨髄バンクには「ドナーさんは神様以上の存在です」「ドナーさんが勇気をもって提供してくれなかったら息子はこの世にいなかったかもしれません」など多くの感謝の声が寄せられています。