今年も昨年に引き続き米不足となり、米の価格が高騰しました。米不足の原因として、インバウンド需要の急増、減反政策、備蓄米の放出遅れなどが、挙げられていますが、見逃せないのが気候変動の影響です。
特に、近年の異常気象は深刻です。今年の夏は気象庁の観測史上最高の暑さとなりました。7月30日には兵庫県丹波市で41・2℃が観測され、これまで国内の歴代最高気温41・1℃(令和2年8月18日 静岡県浜松市)を更新。さらにそのわずか6日後の8月5日には、群馬県伊勢崎市で41・8℃が観測され国内歴代最高気温を再び塗り替えました。
また、8月5日には全国で40℃以上の気温を記録した地点が14カ所(全て関東地方)も観測され、一日に40℃以上を観測した地点数の最多記録を更新しました。
夏の高温は、米の登熟(実が成熟する過程)を妨げ、収穫量の減少や品質低下を招きます。特に白未熟粒(白く濁った未成熟な米)の発生は品質低下の要因となります。
昨年も猛暑の影響で全国的に米の収穫量が減少しましたが、特に新潟県、秋田県、山形県など、いわゆる「米どころ」の減収が今年の米不足の一因にもなっています。
今年以降も暑い夏が続くおそれがあることから、高温でも品質や収量が低下しにくい品種米(高温耐性品種米)の導入を積極的に進めていく必要があります。高温耐性品種米はコシヒカリなどのブランド米に比べ、まだ食味や品質の面で課題もありますが、これは技術開発と品種改良の積み重ねによって、いずれ克服されるでしょう。
こうした気候に合わせた品種改良や栽培技術の工夫は、これまでにも行われてきました。その代表的な例が、北海道の米づくりの歩みです。
かつて北海道は気温が低く、農作物を育てるには適していない土地が広がっていたため、米づくりに向いていない地域だとされていました。そのため、北海道では畑作や小麦作、酪農が中心で、米は「買うもので貴重品」とされていました。
北海道で初めて水田作りに成功したのが1873年(明治6年)です。その後、北海道の人たちは米どころの他県から良質な土を運び入れたり、余分な水を抜く排水路を整備したりして、長い年月をかけて稲作に適した土地へと改良していきました。
さらに1980年(昭和55年)には、北海道の寒さに負けない米となるよう「品種育成プロジェクト」をスタートさせ、1988年(昭和63年)には、寒冷地での栽培に適した「きらら397」が開発され、北海道米の「あまり美味しくない」というイメージを一新しました。現在では「ゆめぴりか」や「ななつぼし」といったブランド米が全国的に高く評価され、北海道は日本有数の米どころとして知られています。
このように、米の一粒一粒は日本人の気候に合わせた品種改良にかけた努力の結晶です。高温耐性品種米にもまだ課題はありますが、北海道の事例のように、知恵と工夫、そして長期的な取り組みによって、やがてこれらの課題も乗り越えていけると、私は確信しています。
