阪神・淡路大震災から20年経ちましたが、その頃から言われている「自助7割、共助2割、公助1割」という言葉があります。自助とは自らの力で助かること、共助とはご近所や町会・自治会で共に助け合うこと、公助とは消防、警察、自衛隊などの公の機関に助けられることで、災害が発生した際の救助の比率は7:2:1だそうです。9月1日は防災の日です。千葉県は8月29日(土)に「第36回九都県市合同防災訓練」を佐倉市で、船橋市は8月30日(日)に「船橋市いっせい行動訓練」を実施する予定ですので、これらの訓練にご参加頂ければ幸いです。
さて公助についてですが、阪神・淡路大震災の生存者の救出は、警察3,495人、消防1,387人、自衛隊165人でした。東日本大震災の生存者の救出は、警察3,749人、消防4,614人、自衛隊19,286人で全生存救出の7割近くを自衛隊が救出しました。なぜ阪神・淡路大震災と東日本大震災とでは自衛隊の対応が全く違うのでしょうか。それは初動対応にあります。阪神・淡路大震災では、自衛隊への災害派遣要請が遅れたのではないか、連絡調整に手間取ったのではないか、交通渋滞に巻き込まれた等の諸説がありますが、被災地に1万人以上の人数を展開できたのは被災して3日経過後のことです。そして被災者の生存確率が高いのは72時間以内、初動対応が遅れました。
東日本大震災の際に陸上幕僚長(陸上自衛隊のトップ)だったのは、かつて船橋市にある陸上自衛隊第一空挺団の団長を務められた火箱 芳文(ひばこ よしふみ)さんでした。火箱幕僚長は震災発災後、直ちに東北方面総監(東北地方の防衛警備を担当する部隊の指揮官)に「知事の要請を待つことなく出動せよ。全国から部隊を集めるから指揮をとれ」と電話し、続いて全国の各方面総監に電話をし、可能な限りの部隊を東北に集める指示を出しました。現行法制下では本来、防衛大臣や統合幕僚長(陸海空自衛隊のトップ)を差し置いて部隊を動かすことはできませんが、火箱さんはその禁を犯し、責任を負う覚悟で迅速に初動体制をつくりました。その人数10万7,000人。また陸上自衛隊東北方面隊は「宮城沖地震対処計画」を先行的に計画し、東日本大震災前の平成20年に東北方面隊を中心に海・空自衛隊、関係自治体などが参加する訓練「みちのくALART2008」を実施していたことも初動対応の迅速さを生み出しました。東日本大震災の際の自衛隊の災害派遣については火箱さんの著書「即動必遂」に詳しく書かれていますのでぜひご覧下さい。